既設のダムの放流量によって操作された肱川の流量


 国土交通省は「肱川は渇水期に流量が少ないので、ダムを造って溜めた水を流してやらなければいけない」と言います。しかし、上流の野村ダム・鹿野川ダムの放流量のあり方が、肱川の流量の少なさの大きな原因になっていると考えられます。
 まず、上流の野村ダムの義務放流量毎秒0.8トンは、ダム建設地点のダム建設前30年間の最小流量の平均である毎秒0.82トンよりも少なく、その上、下流の鹿野川ダムまでの間に、利水のための取水が毎秒0.77トンあります(『野村ダム工事誌』建設省四国地方建設局編集 昭和57年3月発行)
 また、山鳥坂ダムの計画は昭和63年までの10年間の流量がもとにされていますが、鹿野川ダムの放流量0の日が30日以上ある年が、その10年のうち6年もあります。鹿野川ダムの流域面積は、大洲地点の肱川流域面積の約1/2を占めています(トップページ「肱川流域図」参照)。ですから、この鹿野川ダムからの放流量がなければ肱川の流量も少なくなります。ダムによって少なくした水を、新たなダムを造って増やすと言うのです。



 下の4つは、鹿野川ダムの流入量・放流量・貯水位を表したグラフです。
 昭和58年、59年は、冬の渇水期に、流入もあり貯水位も高いのにもかかわらず放流量0になっている日が多く、渇水期の流量がさらに少なくされていることがわかります。昭和35年、昭和44年は、放流量を示す棒グラフが、流入量を示す濃い青の折れ線グラフと同じような形で動いていて、川の自然な流れに沿った放流のしかたになっています。

  ▼放流量0の日が多い年の例


  ▼自然の流れにそった放流のしかたをしている年の例