山鳥坂ダムは分水のために計画されたダムです。中予分水が中止になると、
山鳥坂ダムは建設の法的根拠を失い建設不可能となります。

 山鳥坂ダム建設の計画の発端は、昭和45年に愛媛県が発表した「南予水資源開発計画」にあります。この構想は、南予の川を開発し、それだけでは足りないので渡川(四万十川の旧名称)から取水し、南予分水、中予分水を行おうというものです。(渡川からの分水は実現しませんでした。)
 その後、昭和48年に肱川の治水計画が変更され、肱川大洲地点の基本高水流量がそれまでの毎秒5000トンから毎秒6300トンにひき上げられ、毎秒6300トンのうち毎秒1600トンを上流ダム群で調節して毎秒4700トンを河道へ流す、という計画になりました。つまり、既設の鹿野川ダムの他に、分水の水需要のためにも治水のためにも、いくつものダムが必要であるという計画になったのです。南予分水のためには野村ダムが建設され、中予分水のためには山鳥坂ダムが計画されました
 山鳥坂ダムは、「山鳥坂ダムと中予分水は一体であって切り離せないものである」と旧建設省がいっていた分水ダムです。中予分水が中止になると、山鳥坂ダムは「特定多目的ダム」に該当しなくなり建設の法的根拠を失うため、建設が不可能になります。