ダム建設を目的とする治水の理論


 下の表は、鹿野川・野村・山鳥坂の3ダムの「洪水調節流量」を、発表された年代順に整理したものです。既設の鹿野川・野村の両ダムの数字は徐々に減らされ、反対に、山鳥坂ダムの数字は徐々に増やされていることがわかります。これは、ダムの大きさ等の変化によって洪水を調節する能力が変化したため、ではありません。数字だけを変えているのです。
 なぜでしょう? そう、このような操作によって、「地域住民の皆さんが困っておられる洪水を防ぐためには新しいダムを造ることが必要です」と言うための根拠が“作られて”いるのです。



 ちなみに、既設の鹿野川ダムは建設当時、「洪水時の大洲地点の水位を70cm下げる」とされていました(『肱川改修20年の歩み』編集発行建設省大洲工事事務所 昭和40年8月発行)。ところが、昨年11月に東大洲で開催された「平成7年度豪雨災害被害者の会」での国土交通省の説明では、「鹿野川ダム、野村ダム、山鳥坂ダムと鹿野川ダムの洪水調節量を増やしダムの改造をして、これら全部で大洲地点の水位を70cm下げる」とのことでした。どのダムもずいぶんと非力になったものです。


 下の表は、肱川の基本高水流量(ダムによる調節前の流量)と計画高水流量(調節後の流量)を、発表された年代順に整理したものです。


 鹿野川ダムによる調節量に注目してみます。昭和28年、36年の計画では750、平成16年の計画にある改造を加えると、750+200で950です。
 ところが平成16年の計画では「鹿野川・野村・山鳥坂の3ダムで900」となっており、鹿野川ダムの調節量が減らされていることがわかります。



 基本高水流量、計画高水流量ともに、だんだん大きくされています。もちろん、気候の変化により年々肱川の洪水が大規模化しているといった事実はありません。
 昭和48年の「ダムによる調節」の欄に「上流ダム群で」という言葉があります。これは、ダムによる洪水調節量の矛盾のつじつま合わせのためには便利な言葉です。

 大洲地点の基本高水流量は毎秒6300トンに決定されています。肱川の過去100数年間の記録を見ると、その間の特に大きな洪水は、昭和18年洪水(毎秒4800トン)と昭和20年洪水(毎秒5000トン)です。毎秒6300トンという洪水は起きていません(→【治水】3「肱川の洪水一覧」の項に詳細)。平成6年の計画をご覧ください。ダムを3つ造って毎秒6300トンを毎秒5490トンに低減しても、ダムが一つもなかった昭和20年の洪水よりもさらに大きい洪水です。「だからさらに数個ダムが必要である」という理論ですが、そうでしょうか? こうして、基本高水流量を上げ、既設のダムの洪水調節流量を小さくしてダムの必要性を“作る”のが国土交通省のダム造りの理論なのです。